第13話    庄内釣りの三大原則」   平成25年05月19日  

 宇野江山(宇野信吉=18761952)は鶴岡市七日町の妓楼を営んでいた宇野彦治の長男として生を受ける。幼少の頃から学問を好み漢籍を学ぶ。又家業の傍ら俳句をも好み、能書家でもあった。さらに篆刻南画をも能くしたと云う文人としても知られる人物である。
 家業の傍ら文芸を好み更に暇を見つけては釣りにも精を出した。若い頃町内の若い衆を集め釣りクラブを組織したりする程の釣り好きだったと云う。この頃の江山は血気に流行りかなりの無茶をしたようだ。当時の釣りをする趣味人がやったように、当然釣竿も作ったりもしている。自分は一度も拝見した事は無いがその竿は、江山竿と呼ばれ一世を風靡していたようだ。ただ余りにも多彩な趣味を持った人だった為かまた若い時分の無茶が祟った為かどうか分からぬが、人によっては相当毛嫌いされたりする傾向がある。
 井伏鱒二の書いた「庄内竿」の中に次のような文章がある。鶴岡の舊家の小野寺と云う旦那が所望して、願望三十五年振りに手に入れた名竿師山内善作の竿があった。その竿を酒田で開催する釣具の展覧会の為、鶴岡の小野寺某に借りに行ったと云う下りがある。丁度その時本間祐介氏の使用していた丁稚小僧の15歳だった三郎は宇野江山の竿を一本担いでいた。 「ほかならぬ酒田の本間様のお頼みだによって、自分も竿を出品する承諾をした。しかし承諾はしたが、香山の竿と俺の竿を一緒に担いでもらふことはお断わりする。お前、いったん酒田へ香山の竿を持ち帰って、改めて出かけして来たらどんなもんだ。いや、せっかくだから、かうしたらいい。香山の竿は左手の肩に担ぎ持って、俺の竿は右の肩に措ぎ持って行け。酒田に帰るまで、どんなことがあっても、絶対に俺の竿を土べたに置くことはならんのだ」。
 このように人によっては、江山は嫌われていたと云う例のひとつである。しかし、明治末期、大正から昭和にかけて、鶴岡を代表する釣師の一人として名前が挙がっている人物である。昭和4年鶴岡の遊郭が双葉町に強制的に移転させられた。その時に思い切って家業を廃業し、趣味一筋に生きた江山であった。
 57歳の頃「漫談釣り哲学」(昭和81933)と云う自分の釣り哲学を自費出版した。如何にも文人の釣師と云う内容であった。庄内釣りの三大原則と称し、当時としては独自の釣りに対する持論を理論的に展開した。おおよそ釣りには天の利、地の利、人為の三大原則がある。天の利とは釣れ時である。魚の釣れる時期、天候、釣れる時間を意味する。地の利とは魚が集まる自然の条件例えば魚が集まる海底の地形や水深、藻等を云う。又人為とは釣りの知識と応用と勘と根(忍耐)だと云う。この三つが揃わねば釣りは完成しないと云う物であった。それまで釣り場の紹介、分析と云った本や地図など何冊かは出ていたが、庄内の釣に科学的に目で解析したのは、彼が初めてではなかろうか。さらにその三年後に「釣りの妙味」(昭和111936)と云う本を発表し自費出版した。